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はじめに
ここで,唐突に厳しい問いかけをする。「我々は誰の心のやすらぎのために,サービスを提供しているのか」という問いである。
認知症の当事者研究は,医療者にとってもきわめて重要な視座を切り拓く。つまり,当事者研究とは,この「誰」の問いかけに対して,それはその当事者である,という解を明瞭に与える。ここで言う当事者とは,「いま認知症になっている人」をあげるのが当然である。つまり,この文章を読んでいるであろう,ケアサービスや医療サービスを専門的に提供する側から言えば,サービス受益者のことである。本稿は,このサービス受益者としていま認知症になっている人をおき,論考する。このことはあたり前のように思えるが,実はそうなっていない現実に我々はしばしば直面している。このことに留意すべきである。
ところで,ここに「心の安らぎ」と示した。人にとって本質的に必要としているものは何であろうか。我々は,しばしば一方的な関係性だけに着目しがちである。しかしサービス提供,つまり人,もの,金といった一方向性のものだけを整えるだけですまされるはずはない。なぜなら,その先にある「心の安らぎ」の礎となる,「人」の心のあり方は常に相互的なのだから。いわゆる「心の安らぎ」はI─Thou mode(私と特別な「あなた」の間に生まれる特別な関係性)の所産とも言える。つまりこの当事者研究には,この相互作用の問題まで含まれているはずである。それをわかりやすく知る手法として,「自らのこと」として思いを馳せることが一法である。必ず,心の相互作用に気づけるはずである。人は個としてのみ存在できない。つながりの中での存在である。そういった意味で,パーソン・センタード・ケア(「人」中心のケア)の「パーソン」という抽出は気にはなる。例えば,よくあるのだが,古典的な生命倫理学的な「パーソン」に,autonomyであること,と短絡的な前提を敷いてしまうことによる弊害は,認知症の場合,明らかであろう。この点においては,慎重な議論が求められている。しかし,一足飛びにすべてを了解するには困難が伴う。これ以上は今後の我々の宿題とする。
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