- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
はじめに─現状認識と先行研究
2012年9月4日,東京の日本橋で,第1回認知症当事者研究勉強会「当事者が拓く認知症新時代」が開かれた(永田監修,NPO法人認知症当事者の会編著,2012)。呼びかけたのは,認知症の当事者に,家族,医療,ケア,行政,報道などの関係者を加えた9名。私もその1人だった。なぜ「認知症当事者研究会」と言わず,「研究」と「勉強」とが重なるまどろっこしい名称になったのか? そこに,私たちの目標設定と現状認識とが反映している。私たちのめざす「当事者研究」は,当事者の,当事者による,当事者のための研究である。だが,認知症の場合,現状はまだそこに至っていない。この日をもって,当事者の主体性による研究が始まった,とは言えない。だが,それはいますぐにも必要なものだから,そういう研究が生まれてくるための基盤をつくり,できたら助走に入りたい。そのために,「認知症当事者研究をめざす勉強会」を始めたのである。なので,認知症当事者研究は当面のところ,「当事者による研究」というよりは,「当事者と共に考え,探る研究」,共同作業,共同研究の形をとるしかないと考える。
いま,私は「しかない」と書いた。この「しか」とか「でも」という言葉は,当事者研究の重要な特性を表わしているように思われる。言うまでもないことだが,認知症当事者研究には,ルーツがある。北海道の浦河べてるの家において始められた,統合失調症など精神障害のある人たちによる当事者研究である。その始まりは2001年,親への暴力を繰り返し自宅に放火してしまった男性が,ソーシャルワーカーの向谷地生良と共に始めた「『爆発』の研究」だった。それまで男性に対してさまざまなアプローチを尽くしても結果が出ず,スタッフ内で不満が蓄積していく状況で,「研究しようか……」と男性に持ちかけたのである。そのときの心境について向谷地は,「研究でもするしかないか」みたいなニュアンスだった,と語っている(向谷地,2013)。乗り越えること,解消することの難しい問題に直面したとき,その行き詰まり状況をとりあえず乗り切るための苦肉の策として始められたのである。だが,この苦肉の策が,予期せぬ波及力,感染力をもっていた。
問題を,ただの「困ったこと」というよりも「問い」として捉え直す。それによって,問題を持続的に抱え続けながら疲れない,「悩み方の立ち位置」みたいなものを手に入れた,と向谷地は言う。また,「自分の中に苦労を取り戻していく」のが当事者研究であるとも言う。悩みや苦労を「自分」から切り離し解消することをめざすかわりに,「よい悩み方」を持続させることへ目標を設定し直すのである。その瞬間,行き詰まり状況が「可能性を含んだ問題」へと変わる。
認知症当事者研究もまた,悩みに悩みが折り重なりもつれ合う行き詰まり状況において,苦肉の策として始められたものであり,べてるの家の「悩み方の立ち位置」を踏襲しようとするものである。そして,いま見てきたように,当事者研究はその起源においてすでに当事者単独ではなく,「共に行なうもの」として開始されていたことを確認しておきたい。
Copyright © 2013, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.