連載 看護における質的研究の前提と正当性・2
言語について
家高 洋
1
1大阪大学大学院文学研究科
pp.216-225
発行日 2013年4月15日
Published Date 2013/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1681100772
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承前と今回の内容
前回(第1回)では,看護における質的研究の前提と主題として,言語性と意味を提起した。看護研究の2冊の基本書(Polit & Beck,2004/近藤監訳,2010;Burns & Grove,2005/黒田,中木,小田,逸見監訳,2007)において,「個々に違い,最終的に理解不可能な個人」が研究の出発点とされていたが,我々は,個人をつなぐ言語を看護の研究と実践における「前提」とみなした。そして,コミュニケーションにおいて言語が通用している限り,意味は個人的であるだけでなく,社会的な存在であって,質的研究の関心の中心とみなされたのであった。
今回は,言語についてより具体的に検討する。まず,言語の役割の重要性をあまり認めない考え方(言語道具論)と,その重要性を過大視する考え方(言語決定論)を検討する(第1~2節)。続いて,ソシュールの思想に基づき,言語をより具体的に捉え,媒体としてのその役割を明らかにする(第3節)。
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