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承前と今回の内容
質的研究に関する1つの問題は,その妥当性にある。つまり,その研究成果が〈現実〉を正確に写し出しているか,あるいは〈現実〉に対応しているかどうかが問われるのである(Schwandt, 2007, p.309/伊藤, 徳川, 内田監訳,2009, p.147)。この場合の〈現実〉とは,多くの場合,論理実証主義にとっての〈現実〉,すなわち「客観的な現実」であるだろう(Polit & Beck, 2004, p.15/近藤監訳,2010, p.15)。そこで前回は,〈現実〉について考察するために,論理実証主義の内実を明らかにし,(前世紀中頃以降からの)論理実証主義への批判を概観した。N.R.ハンソンの「観察の理論負荷性」やTh.クーンの「パラダイム論」等によって,論理実証主義の「経験による検証」の決定的な正しさは否定された。また,論理実証主義の「因果論的な決定論」も,人間の複雑な諸現象の一部しか解明できないと指摘されている(Polit & Beck, 2004, p.16/近藤監訳,2010, p.16)。
以上のように,現在は論理実証主義がそのまま認められることはなくなってきているが(Polit & Beck, 2011, p.12),このことは,その〈現実〉観も否定されたということではないだろう。「〈現実〉とは客観的である」という通念は,そもそも我々の経験から生じているのであり,このことを論理実証主義は自ら自身の仕方で定式化したと考えられるからである。
そこで,今回はまず,〈現実〉に関するこの通念の考察を行なう(第1節)。この通念とは,「〈現実〉とは,(観察等の)人間の関与からは独立して存在する」ということである(Polit & Beck, 2004, p.13/近藤監訳,2010, p.14)。
さらに,「知覚や認識の正しさは,〈現実〉に根拠を持っていることによって保証される」(Polit & Beck, 2004, p.15/近藤監訳,2010, p.16)という考えを検討する(第2節)。以上の検討から,〈現実〉の成立に関する言語の本質的な関与が明らかにされるであろう。
最後に,本連載の内容をまとめ,質的研究における基準の問題等について提起する(第3節)。
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