- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
- サイト内被引用
はじめに
「患者を理解したい」「患者の体験している世界はどのようなものか」─このような問題意識が,看護学における質的研究増加の一因であるだろう。これらの問いは,看護実践(ケア)の現場から生じている問題意識であり,それゆえに看護学の本質的な課題の1つと言うことができるであろう。
だが,これらの問題を具体的に問い進めていくときに,さまざまな疑問や難問に出会う。「どのようにして患者を理解すればよいのか」「どこまでいけば患者を理解したと言えるのか」「自分の患者理解は正しいのか」「そもそも患者を理解することができるのか」等の疑問は自然に起こり得るのであり,これらの疑問を厳密に考えようとすればするほど,これらの疑問に対して肯定的な答えが見いだされないように思われるのである。
このような状況が生じるのは,「患者の理解」という一般的な問題意識が,十分に的確に具体化(あるいは定式化)されていないためであると考えられる。このことは,看護学の質的研究の基本用語(「意味」や「体験」など)の使われ方が整合的ではないことにも現われている。
以上の事態に対し本稿がめざしているのは,看護学において新しい質的研究方法論を提起することやさまざまな質的研究を統合するような視点を提示することではなく,もっとささやかなものである。それは,「理解とは何か」という問いを,ドイツの哲学者ハンス=ゲオルク・ガダマーの思想に基づいて明らかにすることである註1。人間の「理解」の全体構造を提示することによって,看護学等の質的研究における上記のさまざまな問題設定が再検討され整理されるならば,本稿の目的は果たされたと言っていいだろう。
本稿の構成は以下の通りである。まず,看護学の質的研究の基本的枠組みにおける問題点を確認する(第1節)。そして,ガダマーの「理解」の全体的な構造を叙述する(第2節)。さらに,個々人の「理解」が立脚している「伝統(学的なコミュニケーションの総体)」について論じ(第3節),理解ならびに伝統を可能にしている言語の構造について考察する(第4節)。最後に全体のまとめと,ガダマー思想の問題点を指摘する。
Copyright © 2011, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.