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はじめに
院内や学校での研究発表会や学会,あるいは何気ない会話の中で,「質的研究とジャーナリズムとはどこが違うのか?」「質的研究の結果に科学的な客観性はあるのか?」といった質問を投げかけられ,戸惑った経験はないだろうか? 私たち2人が日本赤十字看護大学大学院修士課程に在籍していた1990年代後半には,大学内部でこうした疑問が非公式にささやかれたり,学位論文発表会のような場で公然と質問されることが少なくなかった。
ある修士論文発表会での出来事を思い出す。質的研究を行なった大学院生に対して,一般教養系の教員が,「質的研究は客観的でないし,サンプリングもいい加減で,方法論的におおいに欠陥がある。いくら立派な結果を出したって,偏見に満ちた偏った結果であるから,とうてい一般化はできない。一般化できないのでは科学的価値はゼロである」という意見を述べた。意見を言われた院生が反論できずに困っていたとき,当時学長だった樋口康子先生が立ち上がって,「質的研究が依って立つパラダイムは,あなたが立脚するパラダイムとは全く異なっている。質的研究のパラダイムは,学問論的には新しく,しかし看護学にとっては決して軽んじることのできない重要なパラダイムなのだ。あなたがもし,今後も優秀な看護学者を育てる気概をおもちなら,すぐにでも質的研究のパラダイムを勉強するべきだ」とディフェンスする場面があった。このとき交わされていた議論の焦点,すなわち質的研究で得られる結果の一般化可能性にまつわる問題が,いまも私たちの争点になっている。
質的研究を厳しく評価する人々が注目していることは,質的研究の一般化可能性である。論理学の言葉としての「一般化」は,さまざまな事物に共通する性質を大まかにくくり,1つの概念にまとめあげることである。しかし,研究における「一般化」とは,研究で得られた結果が,その研究でサンプルとなったケースだけにたまたまあてはまるのではなく,類似の条件下の多くのケースにもあてはまる結果であることを意味する。研究が科学的な営みである以上,そのような一般化が可能な結果であることが求められるのだ。厳しい評価者はそう指摘しているのだろう。確かに,もし研究で得られた結果が,そのケースだけにみられる特殊なものであり,他のケースにはあてはまらないとしたら,その結果を他人に伝えても,その伝達はほとんど意味をもたない。
では,質的研究はこの「研究結果の一般化」が得られないのだろうか? 本稿では,この問いに答えるために論点を整理して検討していきたい。第1に,質的研究とは何をする営みなのかという「質的研究の本質」について,第2に,一般化とはどのような概念で,その概念を用いることにどのような意義があるのかという「一般化可能性の概念」についてである。
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