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本稿の課題設定
「dead horse」という英語の表現がある。死んだ馬という意味だが,辞書では「(死んだ馬のように)役に立たないもの,古臭い話題,つまらない問題」(新英和大辞典,2006)とある。馬力(horse power)という言葉は,もともと蒸気機関を発明したWattの用語(同,2006)とされているから,馬は動力源の象徴であった。辞書の意味にはそういう背景がある。私の印象では,この表現は具体的な物よりも理論や概念,考え方など,どちらかというと抽象的な内容に対して使われることが多く,「かつて一世を風靡したがいまでは…」といったニュアンスがあるように思われる。こうした書き出しをしたのはむろん,グラウンデッド・セオリー・アプローチ(以下,GTA註1)はdead horseか否かをとっかかりに,現時点におけるこの研究方法について考えてみたいからである。
もっとも,この課題設定に対しては異論もあろう。ある人々にとっては,GTAは健在でありその有効性に変わりはないから,この問いの設定自体を容認できないかもしれない。他方では,GTAはすでに役割を終えたのであり,歴史的扱いの域に移行しているという見方に立つ人々もいるであろう。この立場ではすでに答えは出ているわけであるから,いまさらdead horseかどうかなど問いとして不要ということになろう。GTAの評価が両極化しているとすれば,そして,その健全性を主張する立場が後者の批判に十分応え切れていないのであれば,あるいは,後者の批判がGTAの適切な理解に基づいていない面があるとすれば,さらに言えば,両極間において独自にGTAの可能性を探求する立場をも含め,現状においてGTAを総合的に検討することには重要な意味があろう。
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