特集 70巻記念号 『助産雑誌』と私の歩み
『助産雑誌』と私の歩み—1970年代から1990年まで
藤原 美幸
1
1八千代助産院おとわバース
pp.41-45
発行日 2016年1月25日
Published Date 2016/1/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1665200397
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はじめに 『助産婦雑誌』との出会い
助産婦として働き始めた大学病院は,当時の医学書院社屋とは塀を隔てた隣り合わせだった。勤務のかたわら大学の夜間学部で社会学を学ぶ。そんな日々も1年が過ぎようとする頃,『助産婦雑誌』から新人助産婦による座談会出席の誘いがあった。1972年の「助産婦生活第1報」(第26巻2号)という特集に,新人助産婦として活動する仲間の記事とともに,私を含め4名の助産婦が「現場での1年をふり返って」と題してたくさん語り合った座談会の内容が掲載された。これが『助産婦雑誌』との直接的な出会いだった。
同年4月号(第26巻4号)から,ルポライターによる「ドキュメンタリー・日本の助産婦」が始まった。初回のタイトルは「『開業』この遺棄されつつある職業」で,さらに見出しも「滅びゆく職業・助産婦とは……」と追い討ちをかけるようなものだった。読者として抱いた違和感を現在でも覚えている。
新たに編集担当になった方が,このルポルタージュ形式の連載を助産婦の視点から再スタートしたいと,1975年に「助産婦の仲間を訪ねて」の連載が始まった。「専門のライターではなく,同じ助産婦の仲間が訪ねて書く連載にしたい。下手でもいいからやってみないか」といわれ,3回目「市立病院と共存する助産院」(第29巻4号)の取材者として,焼津第一助産院の菅晴子さんを訪ねた。その後,約5年間にわたり,北海道から沖縄まで,助産婦として活躍する仲間,正しくは大先輩の話を聞く機会に恵まれた。このことが,その後の私のキャリアに大きく影響したと思っている。
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