私の病棟日誌・4
対峙(たいじ)する関係
日下 隼人
1
1東京医科歯科大学医学部小児科学教室
pp.372-375
発行日 1977年6月25日
Published Date 1977/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663907107
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自己への固執
‘Y君はかわいらしくて大好き.何をやってもかわいいし,それがいかにも男の子らしいかわいさなのよ.あんないい子がそのうち死んでしまうかと思うと,かわいそうね’と,ある看護婦が私のそばで話していた.このY君も白血病で私が受け持っているので,そう言ってもらうとうれしいようなありがたいような(そういう感じを私が持ってよいのかどうかしらないが)気もしたのだが,けれども,それは少しまずいのではないかと思った.どのへんがまずいのかを考えてみたい.
なにがしかの希望を抱いて(と言うと嘘(うそ)になるか.希望に胸ふくらませる年齢でもなかったし,おおよそのことは学生時代に見えていたのだから),小児科医になってはじめて感じたことは,‘やっぱり’医局でも病棟でも(ということは医者の間でも看護婦の間でも),子供のことは語られていないのだということであった.‘語られない’というのにも2通りあって,その1つはほんとうに何も語られない場合である.
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