看護学総論指導の一展開
基礎教育における食事の援助の授業はどうあるべきか
高木 永子
1
,
冨田 京子
2
1東邦大学高等看護学校
2東京都立新宿高等看護学院
pp.595-601
発行日 1975年10月25日
Published Date 1975/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906923
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はじめに
人が生きていくための最低条件として,食物がまず第1に挙げられる.しかし現在,一部の地域の人々を除いては,食べることが単に栄養素をとりこむこと,生命と健康を維持するだけのものと意識している人は少ないのではないだろうか.食べることが栄養摂取のみに重点をおき,その他のことを軽視してもよいというならば,極論として,適当な栄養素を混ぜた薬物に似たものを合理的に投与するだけでもよいことになる.食べることは,そのように単純な意味あいをもつものではないはずである.
人間らしく,その人らしく食べるという行動には,種々の因子が関与する.この因子は,病気あるいは入院などによって,健康人よりはるかに複雑化してくる.現状の病院では,患者が快適に食べる行動がとれたか否か,という点は軽視され,栄養摂取のいかんに評価が偏重しがちである.しかもそれは,患者が表現する食欲の有無,摂取量や残食量で評価する場合が多い.この現状は,看護者が他の業務に忙殺されているからという理由づけで片づけてしまってよいのだろうか.基礎教育に問題はないのであろうか.
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