ものがたり教育史 日本の女子教育・その6
女子高等教育の発足
中嶌 邦
1
1日本女子大学文学部史学科
pp.120-123
発行日 1967年9月1日
Published Date 1967/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905882
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20世紀へ
1900年から1901年(明治33年〜同31年)への転換は,日本の女子高等教育にとって,記憶すべき時である。1900年の9月には,津田梅子の女子英学塾(現津田塾大学)が麹町に誕生し,12月には,吉岡弥生の東京女子医学校(現東京女子医科大学)が飯田町の至誠病院の一隅に創設をみ,そして翌年4月には,藤田文蔵によって本郷弓町に女子美術学校(現女子美術大学)が開校され,同じ4月に成瀬仁蔵によって,日本女子大学校(現日本女子大学)が目白台に創立されている。誠に,女子高等教育の着実な歩みが築かれた感がある。その他,従来からの私立女学校の中にも,かなり高度な教育を与えているところもあって,この事実だけみると,女子教育の前途は,洋々たるものがあるようにみえる。しかし,これらの学校の創設までの過程を追って行くと,並大抵の苦心,努力ではないのであって,いづれも民間有志の溢れる様な熱意によってのみ,支えられているのである。成瀬仁蔵が,ひろく学界や財界の有力者を,挺子でも動かないような頑固さで説得し,比較的大きい規模で日本女子大学校を開校させたのを除けば,いづれも小規模の,学校の体裁も整いかねる有様で出発しているのである。
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