看護の潮 転期にたつ看護教育
新カリキュラムに思う
高等学校衛生看護科と女子教育
浪江 敏夫
1
1横浜市立六角橋中学校
pp.58-67
発行日 1966年12月1日
Published Date 1966/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912969
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はじめに
「変わり種高校またひとつ。全国ではじめてのこころみ看護高校」と新聞紙上をにぎわして,神奈川県に県立二俣川高校(衛生看護科)が誕生したのは,昭和39年4月でした。そして,翌40年度には公立10校,私立7校,続いて41年度には公立13校,私立23校(24学科,定時制3を含む)と,29都道県に合計52校,55学科が開設され,その定員も2,785名で全国の准看護婦養成所(高校衛生看護科も含め)定員25,882名の1割以上を占めるまでになりました。その志願者も,二俣川高校での39年度3.45倍,40年度1.52倍,41年度2.03倍という競争率に見られるように,かなり多数にのぼっているようです。
「……現在,准看護婦の養成機関は中卒者を対象とする准看護学院があるが,二俣川高校の場合,准看学院にない高校卒の資格が与えられることからも,あくまで学校教育の一環として,高校教育,とりわけ女子教育における広い意味の厚生に関する学科を履修させるために設置された。こういう意味で,この学校は看護婦不足の解消をねらったものではなく,また単なる看護婦養成機関だけでもない。現代女性としての教養を高め,家庭婦人になったとき,家族の健康管理に専門的知識を応用できるし,また公衆衛生の仕事に従事することもできる。
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