ものがたり教育史 日本の女子教育・その12
戦後の女子教育
中嶌 邦
1
1日本女子大学文学部史学科
pp.45-48
発行日 1968年4月1日
Published Date 1968/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906005
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戦のあと
ポッダム宣言の受諾,すなわち無条件降伏による敗戦という冷厳な事実は,日本国民をして呆然自失の状況に至らしめた。たしかに空襲になやまされることなく,夜もあかりをつけて寝ることが出来る。あたり前の日常が戻ったよろこびがある。しかし一体これからの生活はどうなるのだろうか。敗戦まで覆いかくされていたさまざまな恥部は日に日に露らわになり,救い難い混乱と荒廃と窮乏が急速にひろまっていった。特に食糧難は深刻であり,各家庭では買出しや,少しの土地も余さずに菜園づくりが行なわれ,苦しさは食糧メーデーともなってあらわれた。しかし,焼石に水であり,暗い事件は,日々新聞紙上を賑わしたのであった。
学校生活もまた例外ではない。校舎も戦災にあって焼かれたり,こわれた処も多く,焼かれぬまでも,雨洩りし,窓ガラスはわれ,乏しい資材の中で形を整えるのは容易なことではなかった。しかも戦時中の工場化や軍隊の駐屯などから解放された後始末も大変であった。さらに占領軍に接収されるという憂目をみた学校もある。教科書もノートもひどいザラザラの紙であった。寒い冬が来てもろくな暖房すらなく,オーバーを着たまま授業をうける姿がみられた。食糧事情の悪化や交通機関の混乱のため,長い休暇や授業時間の短縮がおこなわれた。学校菜園も戦時中にひきつづきおこなわれ,収獲物が生徒にわけられていたが,中には,学校当局の不正に端を発して,学校騒動をおこした女子校もみられる。
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