ものがたり教育史 日本の女子教育・その1
近代に至るまでの女子教育
中島 邦
pp.56-59
発行日 1967年4月1日
Published Date 1967/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905805
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あの時
やわらかな春のひざしが,病室の窓一杯にひろがる三月のある日のことであった。私事にわたって恐縮ながら,私は,この世に生をうけてまだ間もない長女が,私の手の中で,泣きわめいている顔をみながら,はたと思い当った。小さくかよわいけれど,一つの生命が,何ものかを求め,求めて泣く顔—それはまぎれもなく,土偶の顔なのである。土偶は私共の祖先が,まだ歴史らしいものも形成しない頃=繩文式文化の時代の遺跡に出土する一種の人形である。それは多く体の部分は女性を象徴し,広い意味での祭祀に用いられたと考えられている。当時の人々は,生れ出たばかりの嬰児の顔と,生れ出さしめた母の姿を土偶に像り,自然の偉大な,神秘な力をここに凝縮し,それに願をかけたのである。
このかけがえのない生命に対する畏敬と,そしてそれを育てあげて行く愛情とは,原始の時代であろうと,現代であろうと変らないものであるといえよう。しかし,その生命をどの様にして育てるか,どのような大人になって欲しいと願って育てるかは,自ら異なって来ている。時代によって,階層によって,環境によって,さらには個人によって。その場合,真の意味で,生れ来たった者への教育的配慮が,社会的責任(国家的責任といってもよいかと思う)において,考慮されるようになったのは近代=明治維新以降である。その意味で,近代以前と以後とでは,教育のあり方に,大きな相違があるといえる。
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