学院長より一言
世界の進歩に伍した看護を…
橋本 寛敏
1
1聖路加看護大学
pp.48-49
発行日 1967年4月1日
Published Date 1967/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905802
- 有料閲覧
- 文献概要
看護教育を実施している責任者から一言述べろいう注文を医学書院から受けたので一言述べる。
明治の初期に西洋医学が輸入され,東京大学でドイツ医学を基本とする医学教育が始められ,日本にも世界水準に則る医療を行うことのできる医者はだんだん現われてきたが,医者の診療に調子を合せて患者の衣食住の世話をし,その生活を支配する役目をする看護婦は,どうしても西洋の水準に達するものが姿を見せなかった。しかし,その時代の新しい看護教育が日本に伝来しなかったかというとそうではない。ドイツのベルツが東京大学に来て医学教育を創めたのが明治9年(1876年)だが,それから7年過ぎた明治16年(1883年)にリンダ・リチャーズがアメリカから京都に来て,明治18年(1885年)から同志社でナイチンゲール流の新しい看護教育を日本に伝えたのであったが,それが成功しなかった。ナイチンゲールがロンドンのセント・トーマス病院で新しい看護教育を1860年に始めてから13年後,1873年に,ディユネス・ヘレンがその教育をアメリカに伝え,ニユーヨークのベレビュー病院で看護婦養成をした。
Copyright © 1967, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.