ものがたり教育史 日本の女子教育・その2
近代女子教育の夜明け
中島 邦
1
1日本女子大学
pp.48-51
発行日 1967年5月1日
Published Date 1967/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905821
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まかれた種
「其方女子にして洋学修行の志,誠に神妙の事に候,追々女学御取建の儀に候へば,成業帰朝の上は婦女の模範にも相成候様心掛け,日夜勉励可致事」これは,明治4年,津田梅子ら5人の女子留学生が,幕末に結ばれた不平等条約の改正をはかる為の岩倉具視大使ら一行の欧米旅行に加わって出発するに先立ち,皇后から賜はった御沙汰書である。当時数えで8才(満では7才にみたなかった)の梅子は,いかめしい皇居の石垣や,大きな門や,絹ずれの音をさせながら広い廊下を行き交う華やかな女官達などに,すばらしさと威圧感をもちながら,重々しくたれたみすの前に,深々と頭を下げて,この言葉を聞いたのである。海外に旅した経験もあり,当時の新進の知識人であった父のすすめで,彼女は,今,遠い異国に赴いて勉強しようとしている。再び日本の土を踏む時には,日本の女性の手本とならねばならないと自らに堅くちかっていた。その帰りに,写したとみられる記念の写真をみると,上田貞子(15才・後上田敏の母)・吉益亮子(15才)・山川捨松(12才・後大山厳元帥夫人)・永井繁子(9才・後瓜生外吉海軍大将夫人)の4人の留学生の中で,小さいながら,そのような決心が表情にも,体にもあふれている梅子がある。近代の女子教育に,大きな足跡を残した,津田梅子の第一歩は,こうして始まったのである。
この留学生募集は,明治新政府が最初に計画した大事業の一つ,北海道開拓の一環として行われたものである。
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