看護学校のあゆみ 日赤女子短期大学・4
戦時救護時代=第二次世界大戦
海川 はるよ
1
,
国分 アイ
1
,
涌井 治子
1
1日赤女子短大
pp.53-58
発行日 1965年6月1日
Published Date 1965/6/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663905468
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明治,大正,昭和と変遷を続ける,日本の国家社会の要求に応じつつ,赤十字看護婦も戦時,平時の救護に幾度か出動し多くの経験を経てその実績もあがり,急速の進展を示してきた。そして,それにつれて養成のカリキュラムの内容もまた,幾度かの改訂が加えられて充実したものとなってきた。特に日清につぐ日露の戦時救護の活躍は,広く世の人びとの認めるところとなり,「婦人従軍歌」などの歌にも歌われるようになってきた。
養成の基礎をつくった,初代社長,院長,そして石黒子爵らの,赤十字看護婦教育の理想は着々と実現していったもののようである。そして,大正3年第1次世界大戦開戦と同時に,ロシア,フランス,イギリスに救護班を派遣し,その活躍はさらに国際的な場に及んだのである。この時の救護に参加した,山本ヤヲ(6代目監督)は当時婦長としてイギリスに派遣されたが,一行とともに,リバプールに着いた際,英国赤十字社総裁の資格で出迎えられたビクトリア皇太后に謁見を賜り,親しく握手をされたと語り伝えられている。
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