連載 社会思想史の旅・最終回
第二次大戦の残したもの
田村 秀夫
1
1中央大学経済学部
pp.53-57
発行日 1970年1月1日
Published Date 1970/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663906289
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戦争記念碑の前で
「戦争記念碑」というとき,ひとはその言葉からどんなイメージを思い浮かべるであろうか。勝利を誇る記念塔,犠牲者を追悼する墓標,平和を祈念する遺跡の保存など,じつにさまざまの戦争記念碑がヨーロッパの広場や街角に立っている。ひとつの都市のなかに,これらのものが並存している場合さえある。たとえば,第2次大戦の最後の舞台となったベルリンがそうである。
1945年1月12日,行動を開始した180個師団のソ連軍は2週間で東西プロシアをドイツ本土から遮断し,ジューコフはオーデル川を渡ってベルリンへ160キロメートルに迫った。2月8日,アイゼンハウアーの率いる85個師団はラインへ迫り,月末にはドイツ軍の戦線が,6万の死傷者と29万を越える捕虜を出して崩壊した。4月11日,米第1軍と第9軍はエルベ河を渡ってベルリンへ100キロメートルの地点まで進出した。21日,オーデル川から進撃したソ連軍はベルリン郊外に到達し,25日,ソ連軍の前衛と米軍の前衛とはベルリン南方120キロメートルのトルガウで会合した。悽愴をきわめたベルリン攻防戦は,4月30日午後3時30分,ヒトラーの自殺で終幕した。
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