連載 人間と教育・9
わからないことからわからないことへ
上田 薫
1
,
加藤 由美子
1前:都留文科大学
pp.644-646
発行日 1993年9月25日
Published Date 1993/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900653
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「わからない」という言葉は,教室では久しく禁句のようにさえ扱われていることが多いのではないか.教師はなんとかして子どもにそれを言わせまいとし,子どもたちもまたその言葉を恥じているようにみえる.もっとも一般には,わからせることなどさして念頭になく,ひたすら覚えこませることに奮励する教師も多かろう.それに,苦しんだあげくやっとわかったときの満足感はとにかくなんともすばらしいものだから,私もそのことにとやかく水を差そうとは思わないが,それだけにわかるということはそう簡単に成り立つかどうか,あらためて考えてみる必要は十分にあると思うのである.
ふつう知育では,完全にわからせたことを次々と積み上げることで理解が正しく進むと考えられているかにみえる.が,ほんとうに完全な理解が個々の人間に成立しうるのだろうか.わかったと思っても,しばらくするとおかしなところが出てくるのが,むしろあたりまえのことではないか.質問を受けたり人に教えたりしていると,しどろもどろになるのは決して珍しいことではない.だからわかった,それも先生や他の人と,そして教科書と寸分違わぬわかり方ができたと考えるのはまさしく速断いや間違いで,これでいよいよ普遍的な知識を獲得できたと安心していても,それは実は単純で表面的,ごくおおまかな把握にすぎないのである.
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