連載 人間と教育・12
立往生を愛せよ―間と空白の効用
上田 薫
1
,
加藤 由美子
1前:都留文科大学
pp.1050-1051
発行日 1993年12月25日
Published Date 1993/12/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663903673
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“迷う”ということに対する世間の評価はすこぶる低いようだが,いっこうに迷わぬという人ははたして信頼に価するかどうか.欲が深いというとまた抵抗が生じようが,もっと立派にやりたい,人に迷惑をかけたくないと思えば思うほど迷いが出るのはあたりまえのことである.それにもう一つ,むずかしいこと,面倒なことはできるだけ避けるようにしておけば,迷う心配は当然少ないにちがいない.そう考えると,迷いがないということを,そう頼もしいとは言いがたい気がしてくる.むろん意志が強いとか決断力があるとかも迷わずにすむ理由になりえようが,そこには頑固とか割りきりの強さとかが,つきまとわないとは言いきれぬと思う.
教師はしきりに「考えよ」というが,考えるとは実は迷うのと同義ではないか.迷うことのいやな人は自分で考えることをしない.となると迷いは無知のせいで生ずるのではなく,知的だからこそ起こるのである.視野が狭いから生まれるのでなく,むしろ逆に広くていろいろ見えるからこそ起こるのである.
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