連載 人間と教育・20
習慣やくり返しを創造の芽とするために
上田 薫
1
,
加藤 由美子
1前都留文科大学
pp.568-569
発行日 1994年8月25日
Published Date 1994/8/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663900883
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よい習慣といわれるものを身につけることは文句なしに望ましいとする傾向が,世の中では顕著である.しかしその信頼は過度だ,いや安全弁を欠いているから危ないと,私は言おうとするのである.くり返しによって必要な習慣を習得し,あとはそれにおんぶして楽に流しながら生きようとするのは,人間として少々勝手すぎはしないか.あいさつをするのはよいことであろうが,いつだれにどのようにという複雑な条件を無視した独善的で単調なあいさつは値打ちがない.一方早寝早起きなどはたしかに無難に思えようが,それでも職業や生活環境によっては,現実的でなくなってしまう.
習慣に型のごとく安住している人は,公式を浅く狭く守るだけで例外を避けてばかりいる.当然自主的個性的にはなれないから,順境にだけ強いということにもなる.どうしても伝統や習慣を重んじ冒険は好まないから,視野が狭く柔軟性にも乏しい.とにかくやたらにくり返しで定着させられたものは,その人間独自の生きた状況とそごするし,社会の変動にもついていけない.思いのほか不確かで無用心だといわねばならぬ.ただそのことに気づいていれば,習慣に足を取られずにすむ.安全弁とはそのことを指す.
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