特集 学生とつくる授業 学生がつくる授業
学生がつくる授業は何をもたらすか─『恋する学問』をとおして
三浦 真琴
1
,
松田 昇子
2
1関西大学教育推進部
2株式会社パナソニック
pp.730-737
発行日 2017年9月25日
Published Date 2017/9/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663200825
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「学生とつくる授業」から「学生がつくる授業」へ
ながらく教師が授業の主体であった高等教育機関に,学生を主体としてとらえ直す動きが見られるようになってきました。その波及や浸透の程度,あるいは経緯などには言及しませんが,教師が懇切丁寧に教えても(あるいは教えるからこそ)学生が主体的には学ばないということに対する気づきと省察が生まれてきたと考えてよいでしょう。学生が主体であるとは,ボローニャ大学(高等教育機関の起源)に明白なことですが,その後の展開のなかでいつしか主体の座は教師に独占されるようになりました。最近の動向を原点回帰ととらえることもできますが,「教えから学びへfrom teaching to learning」というパラダイムシフトに見られるように,高等教育機関にとって尊重すべきを構成員(教師か学生か)ではなく,その営為(教えか学びか)で示していることに大いなる価値があります。
わが国でも学生の授業参加あるいは参画の実践が蓄積されています。参加,参画のいずれも英語では“participate”“take part in”ですが,前者は「(一員として)行動をともにする」というニュアンスを,後者は「計画にかかわる」というニュアンスを強く帯びています。学生が授業に参加するのは当然のことなので,本論では学生参加型授業という表現は用いません。また,学生のコミットメントの程度に応じて参集・参与・参画という区分を設ける考え方もあるようですが,それは学生のかかわりを教師がどこまで認めるか(あるいは求めるか)によるものでもあるので,こちらも話題にはしません。
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