連載 すべって,転んで,立ち上がるために 〜看護職生涯発達学から〜・4
「教える」ことも求められているキャリア初期の看護職へ伝えたいこと
門田 蓉子
1
,
佐藤 紀子
2
1川口市立医療センター
2東京女子医科大学
pp.563-569
発行日 2017年7月25日
Published Date 2017/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663200789
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
- 参考文献
「教える」ことを日常的に求められた私の臨床経験
私は,7年間助産師として病院に勤務し,大学院に進学しました。今思えばたった7年なのですが,その当時はたくさんの役割を任され,仕事も卒なくこなし,いつの間にか先輩よりも後輩が多くなり,役職はついてないのに20代後半に入ると“上の人”と呼ばれる存在になっていました。そのため,学生指導や新人指導を任されることも多く,自分の看護や助産に自信をもち,天狗になっていた時期での入学でした。
ここで私が以前働いていた環境を説明したいと思います。私が助産師として働いた臨床の場は,まず看護学生なしでは語れません。なぜなら,近年の看護大学の急速な増加と,社会問題にもなっている産科の不足から,実習先として附属の看護学校だけではなく,看護短期大学や看護大学,そして助産師学校からたくさんの学生を受け入れていたためです。平日の勤務に学生がいるということが当たり前で,褥婦よりも学生のほうが多いことも間々ありました。そうした現場で,“上の人”となってしまった私は,学生指導を任され病棟での看護業務を遂行しながら「教える」ことを日常的に求められていました。当時の私は,看護学生や新人の看護職に「教える」ことを当たり前のことだと考えており,意欲的に取り組んでいたと思います。しかし,一緒に働く同僚は,「学生指導は,嫌。できればやりたくない」と話していました。同僚にとって看護学生に「教える」ということは決して当たり前のことではなかったのです。
Copyright © 2017, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.