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本書は,医療と保健,福祉にかかわる制度,施設そして行為主体である人との関係が,現在どのようなものであり,視点を変えることで今後どのようなものになり得るかについての優れたテキストである。語り口は優しくていねいで,ときにはユーモアに満ちているが,読み進むほどに,鋭い警告の書でもあることがわかってくる。医療,保健,行政に直接携わる人々だけではなく,医療と介護のサービスを受けるすべての人に,自身と医療・福祉制度との関係を理解し考えるうえでの多くの示唆を与える。さらに,本書の価値はそれを超えて,医療を通して,人が,生きること,死ぬこと,病むこと,老いることはどのようなことなのか,そして,家族や地域の人々,福祉や医療の現場の人々が,老いて病む人を支えるとはどのようなことかを考えるうえで,具体的な事例によって読者の新たな視点を与えるところにある。
いずれの章のいずれの節も示唆に富むものであるが,特に繰り返し読まねばならないと評者が思わせられた箇所は,第1章1節の「最後の砦としての病院」,第3章4節の「直観の濫用としての『胃ろう不要論』」である。前者は,今後高齢化と過疎化が進む(それは必ずしも地方だけのことではなく,都市でも地域によっては起こる現象である)日本社会において,病院が果たすことのできる役割に新たな視点を当てるものである。病院の日本社会のなかでの新たな位置づけについての著者が示す視点は,地域包括ケアシステムの構築についての議論のなかで,論点を変えながら本書で繰り返し述べられているが,冒頭に据えられたこの視点は,著者のこれまでの医療者としての豊かな経験から得た結論であろう。安易に「医療化」という言葉で批判できない病院の果たす地域での役割について述べている。後者は,現在議論になっているテーマである。胃ろうは,わかりやすいため広範な議論の対象となっているが,これを議論するうえで,著者の言う「直観の濫用」が起きていることが,この問題が本来示しているはずの,人間の生きることの意味についての思索を浅薄なものにしているという警告として読むことができる。「胃ろうについて悩んでいる方々のこと,もう少し,そっとしておいてくださると助かります。」(133頁)という節最後の文章は,著者がどれほどの回数,さまざまな患者とその家族のことを考えてきたか,その軌跡を知る思いがする。
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