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早いもので,自身が学生として解剖学を受講してから四半世紀が過ぎた。当時教室では講師の著書である解剖学のテキストを用いた,ラテン語混じりの講義が展開され,解剖学的部位をなぜかラテン語で答えなくてはならない問題がテストに出された。当時勤勉とは言えない学生であった私には,ただただ無味乾燥な授業としか思えず,興味関心というより,ひたすら覚えるしかない科目という印象しかもたなかったと記憶している。その後,後輩の学年から当該講義は,今では知らない人はいないほどご高名な解剖学者の先生が担当されることとなり,件の教授は初回講義で,解剖学は人に習うものじゃない,自分で勉強しなさいと言われ,一年間哲学の話をされたそうである。今ではその先生の講演は大変な人気なので,貴重な機会を得た後輩をうらやましく思ったものである。この話の真偽は定かでないが,解剖学は人に習うものではなく自分で学ぶものである,という点は,その後の臨床経験,教員経験を通じて至極納得して今に至っている。
解剖学,生理学は必要に迫られたとき,最も学習し,また身につくものである。必要に迫られたときとは,看護者であるならやはり対峙する患者,すなわち看護の対象を真に理解したい,理解せねばならないと思うときである。そう思いつつ,本書は自己学習のテキストとしていかがかとページを開いてみた。はじめの数ページに目を通しまず驚いたのは,これまで手にした解剖・生理学のテキストに比して,はるかにおもしろく惹きつけられることである。それは本書の特徴である,平易な表現,きわめて詳細な図解,ほぼ全見開きページに付されたコラムによるところが大きい。特にコラムにおいては,基礎教育課程の学生,あるいは臨床看護師が改めて解剖,生理の知識に立ち返ったとき疑問に思いそうな項目が連なっている。あたかも看護職の疑問を事前に調査したかのような,痒い所に手が届く内容である。
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