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●【東日本大震災医療支援のための緊急帰国】学業を中断すること,そして現場で
今回の東日本大震災で,大勢の医療者も命を落とされました。謹んでお悔やみ申し上げます。そして,たとえご無事であったとしても家族や友人を失いながら,震災直後から今まで職務に就く被災地のすべての医療従事者に心からの尊敬の念を表します。私は3月14日から28日までで計2回,NPO法人TMATを通して宮城県気仙沼市階上地区で,ささやかですが災害医療支援をして参りました。マサチューセッツ総合病院救急医である日本人医師2名と13日にボストンを立ち,14日に成田から直接宮城に入り,その後合流した米国人医師とチームを組みました。震災が起きたのは米国東海岸時間で夜中だったのですが,翌朝から教員や友人から「家族や友人は大丈夫か」と安否を気遣うメールが大量に届き始めました。大学には日本に戻ることに対して許可を取るのではなく,「医療支援のために1か月間日本に戻ります」と言い切る形で報告メールを送りました。履修中の4コースの担当教授の反応はまちまちで,基本的には全員が私の決断を支持してくれましたが,そのサポートには程度の違いがありました。看護学部の,特に倫理や急性期に関心の高い先生がたは「後のことは気にしないで行ってこい」と背中を押してくれる感じでしたし,神学部の教授には「4回欠席するので期末のペーパーの枚数を増やすように」と出発前に条件を提示されました。また中国出身の統計学の教授は,不在中のアパートのことや細かいことまで何かあれば相談するようにと心から親身に心配して下さり,出発前に学業のことで不安になった私を励まして下さいました。
この記事を書いているのは4月上旬で,まだ私は日本にいます。最初は,2回目の活動の直後に帰国便を早めることも考えたのですが,想像していたよりも心身両面で疲労し,帰国を早めず日本で自分自身の休養を取ることを決めたのです。アメリカとの“温度差”のようなものを感じたのはそれからです。ボストンの友人とのチャットで「どうして帰国する日を早められないのか?」と聞かれたときは少なからずショックでした。彼女は災害医療のことは専門外ですから,医療支援後はある程度の休養期間をおいて,必要ならばカウンセリングを受けないといけないということも知りませんし,ただ単純に学業が遅れることを心配してくれていただけなのだと思いますが……。米国東海岸は地震が起きることがまずなく,「余震」という概念も知らない方が多いのです。リビア情勢が急変したことも相俟って,米国での震災報道はその直後の約1週間ほどで,日に日に取り上げられる規模が小さくなりました(原発危機のほうがセンセーショナルに取り上げられていることも影響しているでしょう)。ですから“311”の後にも間断なく体感地震が頻発していることも,米国では多くの人は知らないようです。
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