- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
東北大震災の後,わが熊本大学も医師を派遣することが決定し,石巻に医師,コメディカル,事務からなる6人の編成で,支援チームを派遣することになった.3月の終わりの週は最も余裕のある週といってもよい.おりしも学会の理事会や会合があり東京に行く.私は東北地方の惨状に,折角東京まで行くのに,もう目と鼻の先に石巻はあるのに,どうしてもそのまま帰る気にはならなかった.「恵子,俺どうしても石巻に行きたい.一人でも多くの患者を診て,一人でも多くの悲しんでいる人々の話を聞いてやりたい.ここで怯んだら,30年近く医師やってきた意味がなくなると思う!」私は大学から妻にメールを送った.一時間もたった後,返事が返ってきた.「日本の救世主になってください」.言うまでもなくこのセリフは福島原発事故の処理に向かう東京消防庁,緊急消防援助隊員に宛てた妻からのメールであるが,「あなたは言い出したら聞かない,好きにして」という半ばやけくそのようなメッセージが伝わってきた.私の心は決まった.
まずは事務の説得,そして病院長の了解から始めた.東京から石巻に向かえば,熊本―東京間の運賃が学会から支給されるため,大学にかかる負担も少なくなると思った.後でわかったことだが,震災支援ということが明示されれば,ANAは全区間無料になっていた.私の選んだ東京―山形往復便はJALしか飛んでいないため,結果的に大学病院に負担をかけることになったが,私の申し出を,男気のある事務部長は快諾してくれた.山形でレンタカーを借り,仙台を経て石巻まで向かう旅程が確定した.仙台に入るには蔵王を越えなければならない.朝夕に往復する旅程はハードで雪道,凍った道路を一人で運転できるのか,地震でひび割れた道路でパンクなどして立ち往生しないのか,道中ガス欠で立ち往生しないのかなど,不安が募った.当然のようにいい年をした教授の蛮行に教室員は全員反対した.でも決めたのだ.早速秘書三人とスタッフ,私で「チーム安東」を結成し,何があっても困らないように行程の状況を調べ上げ,あらゆるトラブルシューティングを想定し,問答集を用意した.東京での2日間の会議を経ていよいよミッションが始まった.
Copyright © 2011, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.