特集 思い込みと偏見―教育的に「見方」を変えるには
虚像の「患者さん」イメージからの脱却―自分を見つめる高齢者たちの会話から考える
川村 佐和子
1
1聖隷クリストファー大学看護学部
pp.897-901
発行日 2009年10月25日
Published Date 2009/10/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1663101316
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駅前に集まる高齢者たちに加わる
私事から始めて申し訳ないが,神経難病患者家族という立場がいよいよ現実となり,感じ・考えることが広がってきたと思う。以前はそのつもりではなくても,やはり患者・高齢者はこういうものという自分の視野のなかで解釈し,それ以外の在り方を考えようとしなかった,いや想像することもできなかったと気づいてきた。やっと私は自分自身が偏見をもつ者だという認識を明確にした。
1週間に一度くらいのペースで,私は家族に会うために,ある駅で下車し病院のバスを待つ。その駅の前の椅子には,いつも何人かのおばあさんたちがいる。自宅からバスに何時間も乗ってきて終点のこの駅で下車し,駅前の椅子に座り込み,同じような習慣で集まる人たちと話し込み,昼になるとおにぎりを食べて,夕方になると自宅に戻るということらしい。あくまで,ここでの時間を共有するだけの関係でもあるらしいのだが,大きな声で話をしているので,聞くつもりでなくてもつい話が聞こえてしまう。
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