特別座談会
八丈の島反省録
小笠原 登志子
1
,
古川 千寿子
2
,
膳亀 和子
3
,
八代 悠紀子
4
,
上田 きよえ
5
,
川嶋 紀枝
6
,
小座間 浄
7
,
乗木 秀夫
8
1国立公衆衛生院
2東京都足立区医師会立准看学院
3日本医科大学付属高等看護学院
4日本医科大学衛生学教室
5国立武蔵療養所
6国立東京第2病院
7国立大蔵病院付属助産婦学校
8日本医学大学
pp.52-60
発行日 1969年3月10日
Published Date 1969/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662204394
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乗木 きょうは今まで長い間,八丈病院を中心としたひとつの離島における公衆衛生活動,それが一応終わりに近ずき,今まで書かれた文の一応終末を作るという意味で,私がそのときの最初に作り上げた病院長としての責任上この座談会に加えていただいて,今後こういう問題についてどうあるべきか,特に僻(へき)地,離島における医療体制とその中における保健婦活動というものが,果して可能なのかまた必要なのか,可能でなくても必要なのかというふうなこと。このためにきょうの座談会が催されたとこういうふうに考えます。
八丈病院がなぜできあがったかというふうなことは,いろいろな場所においてしゃべりもし,あるいは学会において報告もしまたそこにおられる各保健婦の方,こういう人たちを中心として保健婦雑誌等においても書かれておるわけですが,ここでまとめてみますと現在の日本の医療というものは2つに分かれております。ひとつは予防医学とそれから治療医学に分かれておるわけです。ところが健康と病気という2つの部類に分けられて健康の部面を予防活動,それから病気の部面を治療活動というふうに考えられておるわけですが,健康から病気というもの,この間に判然とした区別がないということは皆さん方いろいろな講義でも聞かれたことと思います。
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