私のいだく保健婦像
民衆の前を民衆とともに
村田 昌子
1
1山口県衛生部医務課
pp.18-19
発行日 1964年1月10日
Published Date 1964/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203010
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希望と不安の中に学院を巣立って以来,満5カ年の歳月が過ぎ去って行った.最初の勤務先は山口県の北浦海岸にある保健所であった.ここは人情も厚く,自然環境もよく特に山陰特有の突こつとした美しい島が点在して,風光明媚ではあったが産業経済的にも文化的にも,比較的恵まれない後進地域であった.
まず,所内会議の結果,保健婦の担当地区が市町村単位で決められ,春から初夏にかけてのどかで美しい農村風景の中で,くる日もくる日も管内の実情を把握するため基礎調査に忙しく従事した.新しい地区が与えられた保健婦は,この基礎調査にいっそう拍車がかけられ,特に人口動態表による衛生統計に力が入れられた.過去6カ年間の管内市町村の実情がグラフにあらわされ,年次推移がはっきりと脳裡に刻みつけられたのは,赴任して2カ月ばかりたってのことであった.その時職場を転換した先輩のあとを引きついで,始まったばかりの隔週駐在をすることになった.
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