保健所長の生活の記録
民衆と共にある保健所
安東 晁
1
1広島県立尾道保健所
pp.10-12
発行日 1955年9月15日
Published Date 1955/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1401201592
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山陽本線を西下の際,須磨,明石辺の佳景を後にしてはじめて見出される海,それは尾道水道であろう。ちよつとした川巾位しかない海をへだてた向島には造船所があつて,時には捕鯨船の一団が修理に入港したり,いつぞやは四六時中マスト高く赤旗をはためかしてソ聯の船が来ていたこともあつた。五月頃の瀬戸の島々は麦の黄と除虫菊の白とに彩られて旅の人々の目を樂しませる。
志賀直哉,林芙美子の作品で,最近は「東京物語」,「放浪記」などの映画で紹介された尾道は,戦災を免れ,山と海とに狭まれて東西にのびた細長い町,市制が敷かれて既に60年に垂んとし広島県では広島市に次いで二番目に市となつた商業都市,由緒ありげな寺院の塔も,町家の瓦,壁の色も何となく古めかしい。その昔,大阪と下関の中間に位し港町として発展して来たこの町にも通例によつて遊廓の栄えたことは当然のことで,今だに町の一廓にはその名残を止めている。
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