私のいだく保健婦像
地域・職場の信頼から
坂本 玄子
1
1池之上小学校養護教諭
pp.19-20
発行日 1964年1月10日
Published Date 1964/1/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203011
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この秋,急にお手伝いさんに帰られ,職場と外部の活動と家事の三角点をめぐってキリキリ舞いの毎日が続いている.おそい私の帰りと夕食を待つ2人の幼い娘の顔と,700人の勤務校の児童と,山づみの研修資料がだぶり合って夜半の私はなかなかねつかれない.そうした時,私の胸に去来するのは,日本の保健婦事業の創成期に仕事を開拓してきた先輩たちのことである.今とちがった質の苦労がほんとうに大きかったとしても,かの女たちがそれを切りぬけてきたのは,仕事の実りと喜びを地区民衆から与えられていたからにちがいない.労苦を消す喜びをえる時こそ,勤労は人間を豊かにし力を授けられる.
私は保健婦として,何より自分の仕事の根のはり場を民衆の中におき,方向を働く人びととともに見ようとする積極的な姿勢を失わない人間像を思う.そのために身にもった個性,能力をせいいっぱい発揮できる自己に怠慢でない人でありたいと思う.
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