医療保障講座第2回
国際的な社会保障のあゆみ
吉田 秀夫
1
1法政大学
pp.65-68
発行日 1963年12月10日
Published Date 1963/12/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203002
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救貧法から自主的共済組合の時代
社会保障ということばが広範につかわれだしたのは,今次の第2次世界大戦中および戦後になってからである.それ以前は社会保障とよばれ,社会福祉や公衆衛生,救貧法などはみなバラバラによばれていた、とくに戦後世界各国の政治,社会政策にもっとも大きな刺激をあたえたのは1945年から48年にかけて実施をされたイギリスのビヴァリッチプランによる"ゆりかごから墓場まで"という総合的な社会保障であった.挙国内閣のチャーチル時代に立案され,実際の施策担当は皮肉にもアトリー首班の労働党内閣であった.ところが社会保障ソシャル・セキュリティということば自体は古く,1935年のアメリカの発祥にかかわる.ところがアメリカの社会保障は,連邦政府直営の養老年金と各州営の失業保険の2つの社会保険のみで,いまだに健康保険も労災保険も家族手当(児童手当)もなく,先進諸国のそれとくらべれば問題にならないほど貧弱である,だからことばはあっても普及しなかった.
さて,ここでは現代社会保障制度といわれるようになるまで,どの国でもけっして坦々たる道を歩んできたのではないということである.形式的にいえば救貧法より自主的共済組合制度に,さらに社会保険の創設となりそれらが総合されて,新しい概念として社会保障とよばれるようになったのである,このへんの事情を国際的にみてみよう.
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