医療保障講座第6回
わが国の社会保障のあゆみ—支払基金創設と社会保障勧告
吉田 秀夫
1
1法政大学
pp.69-72
発行日 1964年4月10日
Published Date 1964/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662203093
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国保,健保の破たんと支払基金の登場
終戦によって国民健康保険は,ほとんど半身不ずいの状態においこまれ,休止,解散する市町村国保があいついだ.これは一部食糧品の闇売りでふところのゆたかになった農家が,都市近郊にあったとしても,その後供出米の強化,インフレによる経済不況などの荒波にもまれ,まだ余命をつないでいた市町村国保でさえも,保険料の徴収は,せいぜい4割か5割の徴収率であった.これではやれるはずがない.政府は,1948年(昭23)に国保の事務費を半額分補助したり,1950年には7割,51年には全額補助するといった措置をとり,さらに52年には奨励交付金として約4億円,再建整備資金や災害特別資金(このころ毎年のように大きな風水害があった)などの貸付金制度をもうけたが,焼石に水のようなものであった.このころ全国的に20数億円にのぼる国保の医療機関にたいする支払のこげつきがあり,そのために若干の地方医師会では,国保の保険医を辞退するといったこともそのころあった.このていどしか国保にたいする面倒をみなかったという国家のあり方は,皆保険下の現在とくらべて省りみると,隔古の感があるといってよい.
健康保険制度についても,敗戦は重大な影響をもたらした.
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