コンタクトレンズ(29)
内科学書にいどんだ南原繁博士
長谷川 泉
pp.43
発行日 1961年10月10日
Published Date 1961/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662202428
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近頃,元東大総長南原繁博士と昼食を共にした時に,談たまたま博士が心臓を悪くされた頃の話になつた.美しい銀髪の下に叡智の輝きを見せるまなざしは,東大総長時代ほど鋭くはない.学者としての閑日月を送る老博士の風貌にも歳月のなせる年輪のかげりが見られるようだ.
南原博士は,もう数年前のこと郷里へ講演旅行に行かれて倒れたのだが,心臓病で静養中に,有名な内科書で,総頁で言えば2千余頁になる大冊の心臓のところは全部読破されたという.医師に叱られたと言つておられたが,自分なりに真実をつきつめなければやまぬ学者の心の持ち方のきびしさというものを見せつけられたような気がした.自分の身の上に突然おとずれた病気という痛切な契機から,内科学の大冊を読了されたのであるが,そこに流れているものは,東大総長時代に刻苦して講演原稿を練られた戦闘的啓蒙の態度にもつながる.戦闘的啓蒙とは,唐木順三氏が洋行から帰国した森鴎外の文壇評壇に活躍した態度を評したものであるが,まさしくそのようなことばがぴつたりするものが,敗戦直後の東大のリーダーであつた南原総長の気魄にはあつた.私は,今はすつかり柔和な叡智のまなざしで静かに語りかける南原博士を眼前にしながら,ふとそのような回想にふけつた.
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