インタビュー
アメリカの衛生教育を学んで歸られた宮坂忠夫技官をたずねて
山紫 みね
pp.41-45
発行日 1953年11月10日
Published Date 1953/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1662200631
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若き衛生教育家
臨床家を望む医者は沢山あるけれども,およそ衛生行政を望む医者は少いであろう.その中でも衛生教育を望む医者はまれである.それが一度実際面に立入つてみると衛生教育の重大さを痛感するのであるが……
昭和21年9月というから終戰後間もなく,公衆衛生の面でもアメリカの影響で重要性がさけばれていた頃厚生省の保健課長,今の環境衛生部長の楠本正康氏,衛生教育の係の石垣純二氏が東大に現れた.それも公衆衛生の講義という名目であつたから,第1回国家試験に公衆衛生が出るという事で,皆ききにいつた.がそれは名目で実は厚生省に勸いうに来られたのであつた.その時希望にもえた若いドクターが4人程現れたがその中の1人,衛生教育をしたいといつたのが宮坂忠夫氏である.およそ宮坂技官は衛生教育家によくあるような,あの熱気をおびたエネルギツシユな感じには縁の遠い,すつきりしたおだやかで靜かな方である.
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