ビバ!ラプラタ アルゼンチンの日系人とともに・11
健診センターを辞めてから
藤原 美幸
pp.1306-1308
発行日 1981年11月1日
Published Date 1981/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661919403
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特徴的な日系人の産業構造
ブエノスアイレス市は,国会議事堂と大統領官邸を結ぶ5月通りを中心に碁盤の目に区切られた街である.市内の1から2ブロック毎に必ずクリーニング屋があり,店内では沖縄出身らしい日系人が汗を流しながらアイロンかけをしている姿をよく見かけた.まだ着いたばかりの慣れない頃,細々したアドバイスをしてくれた人が‘外出していて困ったことがあったら,近くのクリーニング屋へ行きなさいよ,そこに行きさえすれば日本語が通じるんだから’と言った.そして実際に何度かそうした方たちのお世話にもなった.
ブエノスアイレス市内では,日本人は洗濯屋さんであるという見方が定着しているようで,タクシーに乗ると運転手が‘日本人の知人がいる.あの洗濯屋をあんたも知っているか’みたいなことをよく言った.クリーニング業以外の仕事をしていたり,また駐在員なども居るのだが,その数は比較にならないくらい少ない.ある時,車で外出中の駐アルゼンチン日本大使を見た人が‘最近のクリーニング屋は大したものだ.ベンツに乗っている’と言ったという逸話があるくらいである.こうした市内のクリーニング業を営む日系人の約7割は沖縄出身である.
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