東西南北
安楽
池田 円暁
1
,
目黒 三郎
,
小原 二郎
2
,
浪越 徳治郎
3
1鹿ケ谷安楽寺
2千葉大学
3日本指圧学校
pp.9
発行日 1970年1月1日
Published Date 1970/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661914732
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安楽・極楽・安養という名をもった浄土系の寺は日本国中さがせば相当あろうと思うが,これらは皆梵語のSUKHĀVATIの訳語である。この住みがたい世間にあって,針の穴から天をのぞくような,人々の切ない願望が寺の名となったのであろう。無量寿経をみると,その安楽世界は吹き散らされる花さえもが,時おわらば自然に化没して「清浄無遺」とある。
今日の日本は正しく消費経済時代,いかにして物を捨てるかという「捨てる倫理」を確立するひまもなしに突然のようにやってきたものだから,「兎追いしあの山,小鮒取りしこの川」が塵芥の捨て場と化して,やがて人工災害へとつながる。ついこの間まで賛沢は敵だと一紙半銭でも大切にした時もある。敗戦直後ご厄介になったDDTが今では有害だと宣告される。そういう転変極まりない世にあって,常恒不変清浄無染を指向する,それが釈尊の安楽世界であった。
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