特集 終末期患者の看護
宗教がある場合
魂の救われんことを祈りつつ
鈴木 清子
1
1聖隷病院
pp.34-35
発行日 1968年11月1日
Published Date 1968/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661914191
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結核は医学の発達した今日にあって,なお長期療養を必要とする慢性伝染病で、今日まで人類の受けてきた痛手は,はかり知れないものがあります。確かに結核による死亡率は減少し,当院においても,年間2〜3名という昨今です。5〜10年と病み疲れた方々が,地上の苦悩の戦いを終えて,天に召されてゆくまでの心身の苦闘一人一人のその深さ,きびしさははかり知れないものですが,看護する私にとっては,その度毎に新たに患者より教えられることのみ多く,十分な看護のできなかった悔いと反省をおぼえるものです。
当院では毎朝マイクを通じて,全病棟に15分間の礼拝が行なわれます。入院時にこのことはお互いに他人に迷惑をかけぬように静かにきくように説明いたします。また単調な生活の中にも希望と潤いをと,主治医の許可を得て,転換療法も行なわれています。常に受ける立場にある者は,とかく心まで弱く貧しいものになりがちです。極端な言葉をかりれば依頼心のみ強く,してくれるのが当然と思いがちです。しかしこのような気持で療養することは,自らを低くし更生意欲を失います。病床にあってなお一般社会と何らかの形でつながっているという意識,ものを創作する喜びを持ってもらうための転換療法,満足に絵筆のもち方すら知らなかった者がしばらくすると驚くばかりの絵を画いている,その顔は創作の喜びと末来への希望に輝いている,このようにして多くの方々が生活を楽しみながら長い療養生活に耐えています。
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