戦後20年記念「ナースの手記」佳作
終戦を北支那にむかえて
橋本 なみ穂
1
1浜松中央保健所
pp.101-103
発行日 1966年5月1日
Published Date 1966/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912747
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
●同じアジアの民として
北支那の秋の訪れは早い。咲きほこった合歓木の花いろあせた日。終戦の玉音放送。虚脱状態。多くの戦傷患者をかかえてひと時もゆるがせにできない看護。私たちナースを一瞬の虚脱から救ってくれたのは患者さんだったかも知れない。すぐにもアメリカ軍に接収されるだろうと予想されたその部隊は,ロックフェラー財団の建設になる元北京協和医学院の建物にあった。すべてが整った西洋建築の一部に支那建築を配したグリーンの屋根の美しくモダンな病院であった。近くにあった紫禁城の金色の屋根とともに忘れることのできない想い出の土地ではある。
マンモスをはじめとする古い時代からの標本。数多い医学書がぎっしりとつまった図書館。当時羨やましいほどの医療器機や看護用品がそろっていた。鉄の肺もここではじめてお目にかかったものの1つであった。私たちは夜おそくなってから一心にメスやコッヘルを半永久的に格納するため手入れした。「すぐ接収されるものだよ,もうわれわれがつかえないんだ。夜おそくつかれるよ」と軍医殿は言われたが「今までお世話になったものね,何人もの生命を助けてくれたものね,またどこかの国の人のために働いてね」年若い看護婦が器機に語りかけている。黙々と手を動かしているナースも想いは皆同じであった。
Copyright © 1966, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.