連載 思い出すけっち[あの人、あの時、あの言葉]・27
終戦前後を体験して
税所 ツヤ
pp.364-365
発行日 1991年4月1日
Published Date 1991/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661900372
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「“看護”の“看”は目に手をかざし,患者さんをよーく見ること,その時その時を見て判断し,そして“護る”.みとりです」と教えられ,第一次世界大戦に従軍し,フランスから勲章を贈られた故・竹田ハツメ看護長に厳しく育てられた精神を心として過ごした私の半生でした.
1945(昭和20)年7月1日夜,熊本市は大空襲を受け,熊本医科大学とその付属病院はほとんど焼失しました.私が預かっていた病棟は鉄筋建築のため焼失を免れたのですが,燃え盛る隣接病棟の炎と熱風に挟まれ,息もできないくらいでした.
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