日本看護史の旅
六波羅蜜寺(京都)
石原 明
1
1横浜市大
pp.1
発行日 1966年5月1日
Published Date 1966/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912718
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“ろくはらみつじ”とよむ。天暦5年(951)に空也(くうや,894〜972)という僧が開いた寺。都に流行病がはやって死者は路上に折重なり,人々は動揺していたので空也は自分で観音像を作り,車にのせて市中をひき廻し踊念仏といって念仏にあわせた踊りを人々にすすめて士気をふるい立たせる一方,梅干を主にした病気予防の皇服茶(こうぶくちや)という飲料を与えて,仏教精神による救護活動を行なった。その時の観音像が本尊で,西国17番札所になっていて,今も参拝が多い。平家の盛時には附近一帯が一族の豪華な邸宅となり,鎌倉時代にはここに幕府の出張機関がおかれ,また運慶一族の仏師らの中心地であった。今も多くの名作が寺宝になっている。
本堂は重要交化財で室町初期のもの。私が訪れた時は折あしく,本堂の解体修理中でよい写真がとれなかった。看護史の旅にはこんなことに出会う時が少くない。今でも忌日には踊念仏が行なわれるという。
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