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看護婦という職業
大段 智亮
pp.65-69
発行日 1956年11月15日
Published Date 1956/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661910241
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去年の2月だつたと思う。本誌にのった『看護婦に対する批判』という一文に,私は大へん心動かされたのであつた。この筆者は,その書くところによると,新しい制度の者護教育を受けた一人であり,希望に燃えて学窓を巣立つてから4年,学校でならつた理論と実際の体験には余りにもくいちがいや障害が多いことを悟りつつ,その間「何と苦難の道を歩まねばならなかつたか」と今更ながら驚いておられる。まだ若い一人の看護婦さんである。この一文の主旨を要約すると,日本の社会での看護婦の地位,つまり,看護婦は日本の社会からどのように取り扱われているかも,その切実な体験から強く訴えて居られるのだといつてよいと思う。そして,この訴えは,私のここ10年に亘る切実な観察にぴつたり一致する点があり,そこから又私の考えをまとめる基礎の一つともなつてくれたのである。
私がこの筆者の訴えに大いに共鳴した点は,特に次の二点にある。第一は,日本の社会が看護という職業を尊敬していない,従つて看護婦は職業人として軽んじられている,という点である。日本に於ても,最近は,看護婦が或る嵩高な使命と特殊技能とをそなえた一個の職業人として認められて来た筈だ。しかし,それは表面だけのことであり,実際はそうではない。
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