連載 源流への旅
子産み子育て考・20
産湯
菅沼 ひろ子
1
,
鎌田 久子
2
,
末光 裕子
3
,
宮里 和子
4
,
坂倉 啓夫
1子聖母病院分娩室
2成城大学文芸学部(民俗学)
3東京江戸川区・教育相談室
4国立公聖衛生院衛生看護学部
pp.1014-1018
発行日 1986年11月25日
Published Date 1986/11/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611207007
- 有料閲覧
- 文献概要
- 1ページ目
はじめに
「さあ,お産が始まるぞ」といった状況を設定したなら,きっとその場面の登場人物の何人かは「お湯をわかさなくちゃ!」となるにちがいない。これは,日本人として「普通」のことなのかもしれない。しかし,なぜ,どうしてお湯をわかすのか。今回はこの「産湯」にこだわってみた。
10年ほど前,ある雑誌をパラパラとめくっていた際に「新生児の沐浴は,ドライバス(dry bath)がよい」という記事を目にした。当時,新生児の沐浴を当然のものとし,出生直後及びその後毎日ルチーン化して行なっていたので,あわてて調べてみた。確かアメリカの小児科の雑誌だったと思うが,それによると出生直後の新生児の沐浴は生理的体重減少を大きくし,その回復をおそくすること,あるいは低体温になることなどを理由に,スポンジバスやドライバスをよしとするものであったと記憶している。しかし,先に示したように,私たちの会話ではお産となると必ず「お湯をわかす」ことがまるで条件反射のようになっている。
Copyright © 1986, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.