産育習俗今昔
7.産湯—人間としての誕生
鎌田 久子
1
1成城大学
pp.590-593
発行日 1982年7月25日
Published Date 1982/7/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206057
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複合習俗
現代に生きる私どもは,Aの次はBというように,単系的にものを見がちであるが,ABCの順序を熟知していない社会では,Aの次は必ずしもBではなく,時にはCであったり,Sであることもある。私どもはそうした現象を間違っていると指摘するが,それは私どもの側からの観方であって,本来の観点とは,ずれているものであるかもしれない。
産育習俗のあり方においても,今日の倫理観では理解しがたい行為も多い。一見,生児の生命を非常に丁寧に取り扱う行為があると思うと,反対に粗末に扱って,その意味は何であろうかと疑いたくなるものもある。しかしこうしたことは二つの行為を,私どもが今日の倫理観からみて是否を論じているのであって,あるいは二つはまったく異なった次元の行為であったのかもしれない。今日でこそ並列的に報告されて,同次元のものとして解釈されているが,本来はまったく別の次元に属するものであったのかもしれない。本来は並列的に存在するものではなかったのかもしれない。私どもは現在という時点で,長く伝承されてきた習俗の横断面をみようとしているのである。そしてそこにあらわれた生活を同次元のものとして解釈してゆきがちで,本来は,これらの伝承されてきた習俗は幾層にもわたる,重層性をおびた習俗であったはずである。
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