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サンガー夫人(3)—第一歩
地引 喜太郞
pp.47-48
発行日 1953年2月1日
Published Date 1953/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611200285
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サンガー夫人は1913年10月に,ニュー・ヨークを発つてグラスゴーに行つた。フランスでは家族制限に関して,一種の民間伝承が行われていると聞いたからであつた。彼女はそれを調査研究して来ようと思つたのである。何故ならば,彼女の求めていたものは理論ではなくて実際であり,貧しい人達のための簡単な避妊法だつたからである。だが,グラスゴーでは失望した。そして,パリに行つた。が,パリもまた決して彼女は満足させはしなかつた。そして,もはやじつとしていることができなくなつて,その年の12月31日に子供をつれてニュー・ヨークへ帰つてきた。しかし,このとき,彼女の夫は,絵の勉強をしたいからという理由でパリにとどまつた。彼女は夫の自由意思を尊重して,夫と別れて戻つてきたのであつたが,この別れが,夫との最後の別れになつたのである。
彼女は雑誌の創刊を計画し,ニュー・ヨークに着くと同時にその準備に沒頭した。そして,その雑誌に"ウーマン・レベル"(婦人の抗争)という名をつけた。
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