世界の女性
サンガー夫人—産児調節の貢献者
福地 重孝
pp.104-105
発行日 1966年4月1日
Published Date 1966/4/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1661912714
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危険人物として来日
サンガー・マーガレットは,太平洋戦争以前,2度ほど日本を訪れてきたことがある。はじめて日本に来たのは,大正11年3月10日で,東京の改造社が,彼女に人口調節の問題の講演をしてもらおうとして契約したためであった。彼女はサンフランシスコの日本領事館に旅券をもらいに行ったが,日本政府は査証を与えることができないと断られた。サンガー夫人は「危険人物」であり,講演の題目もよくないというのがその理由であった。そこで,とにかく中国行の査証をもらい上海めざして乗船したが,その船の中には,ワシントン軍縮会議の日本代表団が乗りこんでおり,彼らのあっせんで船中から日本政府と電報を交し,日本に着く少し前に,ようやく日本上陸と,講演許可の通知をうけた。ただし,産児調節には言及してはならぬという条件つきであった。横浜港外に大洋丸が碇泊すると,水上署の役人がのりこんで,彼女を訊問し,税関では手に持っていた書物や「家族制限」のパンフレットを没収され,装身具にいたるまで馬鹿ていねいに調べられた。産制器具を所持しているのではないかという疑いの眼で。警視庁と内務省からはかさねて産児調節の講演禁止の注意をうけ,改造社も夫人も非常に失望したが,サンガー夫人は,東京のYMCAでドイツと連合国の戦争と人口問題をとりあげて話した。
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