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1834年に発表されたバルザック(1799〜1850)の『「絶対」の探求』(水野亮訳,岩波書店)は,中年期以降に化学の研究に没頭して家族を顧みなくなり,遂には破産してしまうバルタザールという男の話だが,彼は,「その精神上の病には段階があって,次第につのる症状を経てはじめて手もつけられないはげしさに達し,ついに一家の幸福をぶちこわすに至った」と,慢性・進行性の病を抱えた人間とされている.研究に没頭するようになってからのバルタザールについては,「何をするにも上の空だったが,その放心ぶりはことに夫婦の語らいに一番つよく現れる」という放心,「かつて愛していたすべてのものに無関心となり,満開のチューリップの世話を忘れ,そして子供たちのことも,もはや考えなくなっていた」という無関心,「ときとすると彼の目は,ビードロのようにどんより曇った色になった.まるで視覚が方向を変えて,魂の内側に働きかけてでもいるようであった」という自閉的な態度など,精神的な病を抱えた人間という設定にされているのである.
そして,59歳になったときには,娘から「おとうさまは気が狂ってしまった」,「解決できるものではない問題の探求に専心没頭したことが,父のすぐれて聡明だった頭を荒廃させてしまった」と言われるだけでなく,「じっとすわった目つきや,失意の人らしいようすや,絶え間ない不安が,そこに痴呆特有の徴候を,いや,そういうよりもむしろあらゆる種類の痴呆の徴候を彫りつけていた」というような状態に陥るのだが,そんなバルタザールについては,妻も次のような病跡学的な認識を述べている.「俗人の目から見れば,天才は狂人に似ている」,「あなたは偉大であったすべてのものとおなじように,生きていらっしゃるあいだは不幸な目にあうでしょう」.
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