グラフ
日本近代産科学の先駆者 賀川玄悦の思想と業績を求めて
杉立 義一
1
,
岩下 守
,
本誌
1杉立医院
pp.437-440
発行日 1983年6月25日
Published Date 1983/6/25
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1611206245
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正常胎位の発見,産科手術の導入,迷信,悪弊の打破等々,わが国の産科学は,賀川玄悦(1700-1777)によって近代化の第一歩を踏み出した。玄悦は彦根に生まれたが,農をきらい,医を学ぶため京都に移り,生活とたたかいながら独学で産科を考究した。それまでは産科医とはいっても,‘気付け薬’や‘はやめ薬’を与えるか,せいぜい‘握り薬’(タンポン薬)を施す程度であったが,玄悦は貧しい妊婦を自宅に寄宿させて,妊娠分娩の経過を観察した結果,上臀下首こそ胎児の正常位であることを発見し,また独創的な11種の産科手術を考案して応用した。
明和2(1765)年「子玄子産論」4巻を発行したが,この書はその頃のわが国の産科学の基本となった。また2代玄迪は安永4(1775)年,「産論翼」2巻を著わして「産論」を補った。
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