Sweet Spot 文学に見るリハビリテーション
国木田独歩の『春の鳥』―「白痴賛美」の物語
高橋 正雄
1
1筑波大学心身障害学系
pp.1079
発行日 1999年11月10日
Published Date 1999/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1552109107
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国木田独歩の『春の鳥』(明治37年)は,一般にはワーズワースの流れをくむ「白痴賛美」の物語と言われている.確かに,この小説では,六蔵という精神遅滞の少年が,お城の石垣で空を見上げながら歌を歌ったり,独歩その人を思わせる主人公が六蔵の個人教育にあたるなど,いかにも牧歌的で人道主義的な小説という趣を呈している.しかし,独歩自身の体験に基づくと言われるこの作品を,今日的な視点から読んでみると,精神遅滞に対する誤解や偏見と言わざるを得ない記述があることに気がつく.
まず気になるのは,六蔵について,「不具のうちにもこれほど哀れなものはないと思いました.(中略)言う能わざる者,聞く能わざる者,見る能わざる者も,なお思うことはできます.思うて感ずることはできます.白痴となると,心の唖,聾,盲ですからほとんど禽獣に類しているのです」と語っていることである.ここでの六蔵は,禽獣同様の,不幸で同情すべき対象と見なされているのであって,彼にも人間としての意志や感情があることは無視されている.そういえば,この小説の最後では,石垣から落ちて死んだ六蔵のことを,鳥の真似をして飛ぼうとしたのではないかと推測しているが,これなども単にロマンティックな想像というよりは,精神遅滞者と動物の類縁性を意識すればこその発想と見ることもできる.事実,この作品には,「春の鳥は自在に飛んでいます.その一つは六蔵ではありますまいか.よし六蔵でないにせよ,六蔵はその鳥とどれだけ違っていましたろう」と,六蔵と鳥を同一視したような表現も見られるのである.
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